サシャとコニーの成績は、芳しくなかった。座学は論外、実技だけに限るならば上の下、それも作戦誤認を含めれば立体機動にしたって連携が取れるはずもないから、公平を期すために二人がベルトルトと同じ班を組むことになったのは当然のことだと言えよう。彼にはどんなことであれそつなくこなす技術があり、恵まれた体格と体力があり、積極性が皆無だった。
「寒いですむちゃくちゃ寒いです」
寒さでいまいち舌の回らないサシャの声は悲壮だった。今回の雪山訓練はどう考えても配給の暖房具が不足していた。教官によってわざと抜かれている、と三人は判断した。ベルトルトが忘れることはない、俺とサシャなら有り得るけど、とコニーの弁である。つまりはそういう課題なのだろう。協力しあえと、つまりはそういうことだ。
「この吹雪の中、山小屋を見つけられただけでも随分良い方だと思うよ」
「ひとまずかたまってようぜ。ちょっとはマシになるかもしれん」
コニーの言葉でお互いぎゅうぎゅうと苦しいくらいに近付くと、確かに寒さはましだった。
「さっきよりゃ良いな」
小柄な彼の頭部はほとんど外套に埋れている。
「天候が荒れたら狩りは休むべきですよ!」
「同感だ」
サシャとコニーは兵舎の食堂にいるときと同じように言葉を交わしている。何とか火を起こした暖炉ではぱちぱちと薪が爆ぜ、身体の大きさの関係で二人を抱え込む格好になったベルトルトは温かい色に照らされながら素数を数えていた。普段同郷の友人以外との接触を可能な限り避ける彼にしてみれば、正直素数を数える以外に何をすれば良いか分からない状態だった。きちんと話したことがほとんどないのだ。
「あれ。コニーの心臓がどくどく言ってるの、右側ですね」
熱を得ようとコニーの胸に耳を近付けたサシャは目を丸くした。見上げたハシバミ色の瞳に炎が映り込んで綺麗だなあ、とベルトルトは思う。
「サシャ、お前本当に耳良いんだな」
俺の心臓は右側にあるんだ、と小さな彼は何故か誇らしげに言う。
「へええ……あ、ベルトルトも聴いてみてください!」
「いや、僕はいいよ……」
「よし、ベルトルト、来い!」
ばっと限界まで広げられた小さな両腕に素数を数え続けるわけにはいかなくなって、迷った末、ベルトルトはコニーの胸に耳を当てた。真っ黒な髪の、いつもは見えないつむじが覗く。よしよし。弟や妹たちにしてやったようにコニーがいつもは遥か頭上にある頭を撫で回すとベルトルトはゆっくり赤くなった。
「……本当だ。右側から心臓の音がする」
「今日の訓練のお蔭で危うく止まるところだったけどな」
「……なんだか、安心するね」
嫌だとは一言も言われなかったので、コニーは撫でるのをやめなかった。故郷の弟みたいだなあと思った。ベルトルトの方がコニーよりも何十センチか背が高かったけれど。
訓練兵団で厳しい訓練のあった日、なんてことはない冬の日のことだ。
それでもコニーは忘れたことはない。
自分の心臓に耳を傾けるベルトルトの温かさ、彼の心臓の音色、赤くなった首筋を。それだけで彼は信頼に足る、そう判断した自分の気持ちを。
「なぁ嘘だろベルトルト?ライナー?今までずっと……俺達のことを騙してたのかよ……そんなの、ひでぇよ……」
たとえ彼が、一番否定して欲しい言葉を否定してくれなかったとしても。
道が分かたれ、長い時間をかけて再会して、挨拶代わりに冷たい刃を向けられたとしても。
「僕は怖がりだから、自分一人じゃ死ねないんだ」
「ベルトルト?」
地面に押さえ付けられたまま呼んだ声は掠れた。見上げようと頭を動かせばざりざりと砂が鳴った。逆光で表情は全く読み取れない。けれども大きな身体の泣き虫はやっぱり泣いていた。頬や唇に涙がほたほたと落ちて、ベルトルトは温かいなあと思った。
「さよなら、コニー。ごめんね」
どん、刃を突き立てられた衝撃でコニーの身体が跳ねた。
「ベルトルト、てめえ!」
ジャンの声が遠い。
「コニー、ありがとう」
己を刺した少年の心臓が仲間によって貫かれたのを、コニーは確かに見届けた。泣きながら小さく笑って、トクトクと響いていた心音がゆっくりとなくなっていくのを聴いた。
(……ありがとうって言うのは、俺の方だろ)
胸部右側の骨の間を抜けて心臓に刺さるはずの刃は、器用に骨の間を縫って、左側の浅い部分で止まっていた。
だから、仲間だった彼の骸を抱いて、コニーは好きなだけ泣いた。家族や村の皆を失ったときに泣けなかった分、泣き虫なベルトルトの代わりに泣いた。
コニー・スプリンガーは死ねなかった。
◆
「大丈夫、コニーもやれば一人でできるよ。ね!」
宥めるように呼びかけてみても、近所に住む幼馴染の声は晴れない。曰く、このままでは受かる高校が通える範囲にない。教えるのが巧い友人も他に居ない。
「もしもお前と連絡取れなくなったら、俺、進級もできねえ……」
あまりにも切実な声だったので、ベルはテストは勉強の手伝いを了承した。彼女は可能な限り誰とも関わろうとしない子どもだったが、反面、何か頼まれると断れなかった。
ベルトルトはずっと、もうずっと、誰かに見つけて、助けて、愛して欲しかった。
ベルは両親の勧めで大学に進んで、コニーは実家の手伝いを始めた。大学生というのは思っていたより忙しいので全く会えなくて、たまにメールのやりとりをするくらいだ。それでも家は近いままだから、顔を赤くして駅から走り去る彼女だとか、道向こうで携帯を覗き込んで困った顔で笑う姿だとか、色々と見掛けるのだけど。最近彼女が楽しそうにしていることを知って嬉しいと思った。
コニー、ありがとう。
それだけの文章だ。メール一通、たったそれだけのことだけど、いつかと違うその言葉だけで、コニー・スプリンガーはひどく満足だった。
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